フォロワーが多い人の言うことならなんでも称賛しちゃう妄信的信者たちにはもうちょいクリティカルシンキングを養ってほしい

2019年8月23日トレンドニュース・コラム

noteを回覧していたら、XXざわさんの初noteとみられる投稿がオススメに出てきた。

彼女については、なぜか彼女のフォロワーが爆発する以前から認知していて、なかなかに観察眼が鋭くさらにそれを表現する能力の高い面白い方だな、と思っていた。

それがフォロワーが爆発してからというものの、自身のやりたいことと爆発的に増えたフォロワーやメディアから求められることのギャップに苦しむ姿が一傍観者である私の目にも見受けられた。

今回のnoteも概ねそういった内容についてだった。

端的にまとめると、

・上述のような、ギャップに苦しんでいるという話

・自分は毎日脳内で戦略をこねくり回してその結果としてバズを生み出したんだぞ、というアピール

・今後出版予定の本の宣伝

3つが書かれていたと認識している。

個人的には「へえそうなんですね。」で読み終えたのだが、その後ツイッターを読むと、

そのnoteに対する称賛ツイートの嵐がわざわざXXざわさんを検索したわけでもないのに私のフィードに流れ込んできた。

こいつら脳死んでんな

正直に言うと、私はそう感じた。

今回のnoteは特に彼女の信者というわけではない私からすれば、

普段Twitterでは面白い動画を上げる私ですが、脳内はこんなにも戦略的でいろいろ考えているんですよという話を、タイトルや文中に意識高いエッセンスを散りばめながらつらつらと書いているだけのように映ったが、この文に心から感嘆し、手放しで称賛するレベルの信者が既にかなりの数存在していることに驚いた。

もちろん彼女の作るコンテンツや考え方は十分称賛に価することに間違いはない。

私が問題視しているのは、彼女が生むコンテンツであればなんでも「いいね」「スキ」と思ってしまう思考放棄型信者層があまりにも多いことだ。

少し不必要な話をすると、コンテンツに目を向ける人間は二極化するという仮説がくつざわメモ帳にあります。1つは「コンテンツ自体に興味のある人」もう1つは「コンテンツ関係なく発信者が発信するものはなんでも見る信者」です。後者を、得意分野のtwitterを使ってあらかじめ獲得しておこうと考えていました。19歳の私は。

彼女自身が”信者”という言葉をわざわざ使って、現状彼女の思惑通りに信者を獲得できている現状を報告しているにも関わらず、自分がその一人であること自体に特に何の疑念も抱くことなく、嬉々として彼女のnoteという作品の拡散の手伝いをしている、もちろん無償で。

こういった層は、彼女が出す書籍を買ったらおそらく再び称賛のツイートをするし、仮に彼女がクラウドファンディングを実施したとすればきっとどんなゴミプロジェクトであろうとお金を出すのであろう。

信者本人が満足してやっているのであれば構わないとはいえ、どうしても私にはこういった妄信的な”信者”行動の原理がどうしても理解できないのである。

今回はXXざわさんを例として使用してしまったが、このようなTwitter、instagramやYoutubeなどをメシの種にするインフルエンサーの類いは概ね全員このような、思いのままに操ることができる兵隊のような信者たちの存在によって生活を成り立たせている。

エンゲージメントの高い「ファン」(=信者)からの収入の獲得(=搾取)という現代のビジネスにおいては鉄板とも言える収益構造がここまで一般的に受け入れられている現状に、なぜほとんどの人が違和感を抱かないのだろうか。

ゆうこすなんかはその最たる例だが、彼女が開催するイベントや制作するファッションブランドは、お抱えの“信者”たちのお陰で大盛況だ。

私は決して彼らのビジネススタイルを否定しているわけではない。

相当数の(いいねを押すだけでなくしっかりと金まで出す)信者を獲得するための巧みなセルフブランディング能力の高さを心底尊敬している。

(時たまこのあたりのセルフブランディングの詰めが甘く、目の前の金銭に釣られて質の低いステマを請け負ってしまった結果痛ましい炎上騒動が起こっているX楽X佳さんなどの事例も見られるが。)

フォロワーも何も持たない力無い悲しき負け犬の遠吠えとでも思っていただいて構わないが、私個人の思想としてはこのようなソーシャルメディア利用層にもう少し思慮深さを求めたい、というのが前置きが長くなった今回のnoteのメインテーマである。

今のソーシャルメディア利用層はハッピーすぎる。

誹謗中傷とは異なる、建設的な批判・議論がもっと活発に行われてほしい。

クリティカルシンキングのススメ

ソーシャルメディアにおいて権威を持つインフルエンサーの方々も、必ずしも毎回すごいことを言っているわけではない。

めちゃくちゃ浅く薄っぺらいことを、いい感じの意識高いエッセンスと根拠のない自信でコーティングしながらしばしば発信している。

こういった情報が本当に有用性のあるものかどうか見極めるために養うべき能力こそがクリティカルシンキングだ。

あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。批判の定義については論者によって異なるが、共通的には、単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省することを意味する。

記載の通り、単に否定的になるのではなく、本当にそれが正しいのか自分の中で思考するのがクリティカルシンキングである。

よく言われるロジカルシンキングとはまた違ったアプローチの思考法である。

非常に当たり前のことを言っていると思うかもしれないが、特にメディアリテラシー格差がもはやどうしようもないぐらいに開いてしまった現代において、意外とこれができない人が多すぎる。

自分が良いと思うヒト・モノへの称賛はむしろ積極的に行うべきことであるが、「本当にそれが良い」か否か、自らの中で判断してからアクションしてほしい。

ソーシャルメディア利用者の皆さん、

良いと思うもの以外に「いいね」するな。

簡単に良いと思うな。

思考を放棄するな。